責任とものごとの捉え方について


責任とものごとの捉え方について 1

最近仕事やプライベートで、自身のものごとの捉え方を考え直す機会があった。

書籍や人への相談、議論などを通して上記のことをぼんやりと考えていた。
書籍とは、國分功一郎と熊谷晋一郎の対談を書籍化した、「<責任>の生成 ――――中動態と当事者研究」だ。

まだ本書を40%くらいしか読んでいないが、ものごとの捉え方と共通するものがあるように感じたので、今この文章を書いている。

責任とは

まず責任とはなにかについて考えたことを記述していく。
「責任とは、〜である」と書こうとして、止まってしまった。
まず自分のなかで「責任」と「責任を取る」ことがごちゃまぜになっていることに気がついた。
では、「責任を取る」とはなにか?
國分功一郎の言葉を借りれば、「自身のとった行動やそれによって生まれた結果に対する自分なりの応答」となるだろう。でも、これは自分の言葉ではない。借り物だ。 辞書的に言えば、「自分なりの応答」は「任務や義務のこと」となるが、これはあまりしっくりと来ない。

一旦本文では、「責任を取る」とは「自身のとった行動やそこから生じた結果に対する、自分なりに義務を負うこと」とする。

書きかけだが公開してしまって、追記していく